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夜楽 第3回 「土地の記憶」を継承する

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「土地の記憶」を継承する
平成30年1月31日(水)18時30分~20時30分
エリアなかいち にぎわい交流館AU 4階研修室1・2

岸本 誠司 / 民俗学研究者

1971年兵庫県生まれ。専門は環境民俗学。近畿大学大学院修了。民俗学者野本寛一(2015年国の文化功労者)に師事し、以降、全国の農山漁村のフィールドワークを重ねる。05年より東北芸術工科大学専任講師。06年より山形県の離島・飛島の民俗調査を開始。13年にとびしま漁村文化研究会を結成し、島の若者たちとともに島の文化の記録や継承活動に取り組んでいる。15年より鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会主任研究員。

天野 荘平 / 男鹿市菅江真澄研究会会長

1949年男鹿市生まれ。男鹿市文化財保護審議会会長。NPO法人あきた地域資源ネットワーク副理事長、潟船保存会事務局。江戸時代の旅人・菅江真澄が残した記録をもとに、多面的な調査を行い地域づくりへの活用を考えるほか、八郎潟の漁撈習俗などについて調査中。2015年からナマハゲ行事の実施状況調査を男鹿市教育委員会と行い、「男鹿のナマハゲ」報告書を作成した。

小松 和彦 / 小松クラフトスペース代表

1976年秋田市生まれ。青山学院大文学部史学科卒。99年に参加したカンボジアでのNGO活動をきっかけに、民族文化や手仕事に関心を抱き、世界各地の美術工芸品の収集・販売を始める。2011年から秋田県内の遊廓等の調査活動を始め、16年に「秋田県の遊廓跡を歩く」を刊行。「世界の民族工芸」「遊廓」などに関するレクチャーを京都、秋田の美術大学などで行っている。現在、秋田魁新報電子版にて郷土史コラム「新あきたよもやま」を隔月連載中。




第3回夜楽がスタートです。今回も秋田市企画調整課齋藤課長より、開催趣旨の説明を行いました。

コーディネーター 石倉敏明氏(秋田公立美術大学准教授)

石倉:3回目の今日は「土地の記憶」を継承するということで、秋田市だけでなく、秋田県全体、あるいは県境を越えたもっと広いエリアで、テーマを捉え直していきたいと考えています。
僕は東京の郊外に育ちましたが、秋田に来た時、最初に気づき、魅力を感じたのは、たくさんの芸能やお祭り、伝承、民俗、歴史、そういったここにしかない世界があり、秋田市だけでなく、各地に行けば、その土地の記憶を垣間見ることができるということでした。

民俗学研究者 岸本誠司氏(山形県酒田市)

岸本:飛島は、人口の減少ということと、日常の変化に応じて暮らし方が変わってきて、ここ15年ぐらいで大きく変わりつつあります。
Iターン組を含めた地元の若者たちがメンバー8人で、「合同会社 とびしま」を立ち上げ、活動しています。その理念の基盤に据えているのは「0(ゼロ)次産業」で、島の風景の保存と、島の生活の知恵や技術の継承です。島の人たちがつくってきた風景だとか技術とか知恵とか、そういうものが自分たちのバックグラウンドになって、ここに住んでいますが、自分たちのやっていく仕事の意味を考えていきたい、そんなことを思いながら活動しています。

男鹿市菅江真澄研究会会長 天野荘平氏(秋田県潟上市)

天野:私たちは、男鹿市五里合地区に出向き、年配の方たちに地震の記憶を尋ねました。すると、口々に「5月1日だべ」、「5月1日午後3時だよ」と言うんですね。
どういうことかと聞くと、地震後に、「♪ごがつ ついたち ごご さんじ」で始まる「復興歌」を、毎日のように学校で歌っていたことで覚えていたんです。その歌を譜面に起こし、平成25年5月1日、五里合小学校の児童たちと歌いました。
ナマハゲのことを知るには現状を知らないとダメだということで、2年かけて、現状調査をしました。一部だけの町内のピックアップではなく、全町内でのアンケート調査をしました。

小松クラフトスペース代表 小松和彦氏(秋田市)

小松:もともとは60年ちょっと前に祖父が小松呉服店として創業した店ですが、さまざまな工芸作家の作品、アパレル、世界で集めた民芸品などを扱っています。今の店舗ができたのは、ちょうど36年前で、その時から父が着物だけじゃなく、さまざまなジャンルの民芸品、工芸品などを取り扱うようになりました。
その後、「遊郭」に興味もち、「秋田県の遊郭を歩く」を出版しました。

後半は、石倉先生からパネラーに様々な質問が出されました。

岸本:鳥海山は秀麗な山で、そこには神様がいるとか、滝や洞窟には不思議な力を感じるといった、いわゆる「神々の風景」があります。たとえば、そういった風景というのはジオ、エコ、ヒトの相互関係のなかでどのように成立したのか。あるいは、どういう人たちがそこに意味を持たせたり、その意味を守ってきたのでしょうか。このような地域の風景のなりたちや意味をいろんな人が理解したり、共感したりできるような、そんな仕組をつくっていくのが、私の仕事のひとつだと思っています。
いろんな人やモノが海の向こうからやってくる、その歴史的な層というのを重ねながら地域の歴史をデザインする、そういうことなんですね。そういうことで海っていうのは非常に大事です。

天野:案内する人がどこからどれくらいの知識を得ているかが問題です。一番いいのは案内先に行って、現地の人たちと話をしながら、交流しながら勉強して知識を得る、生の情報収集です。逆に言うと、行ったことがないところを案内して、「こうですよ」「ああですよ」などとガイド本の類を読むだけでは誤ったことを教えてしまう可能性があります。
教える、語るということは、知らなければ教えられないし、語れません。そのためには、よく勉強、学習をしなければならないと常日頃思っています。

小松:秋田にはよそ者が多いです。大阪の陣とか北陸の一向一揆に敗れて落ち武者になって逃げ延びてきた人が多く入ってきています。秋田って土着の質が強そうに見えますが、よそ者が来て秋田をつくってきている面もあります。
私は自分が見て面白いと感じたことを書こうと思っています。ただ歴史が好きってことだけじゃなく、サブカルチャー一般が好きだったり、アートが好きで、そのちょっと横の抜け道を進んだところのものを、そういう人たちに向けて見せるという方向性です。

石倉:アートの世界でも、災害とかで非常に多くの死者が出たり、あるいは故郷を放棄しなければならないこと、あるいは事故をテーマにアプローチすることも増えています。そういったものも含めて継承を記憶していかなければならないってことが現在の課題かなと思いました。
アートをツールの一つとして使っていくことで、バトンを次に渡すことができるのかなあ。会場に、世界のクジラの捕鯨の減少を調査して、それを新しいアートのスタイルとして追求している方もおられます。アートと在来の文化をどうつなげていくのかが現在の課題です。

参加者からの質問にも、例を挙げて丁寧に答えてくれました。

参加者は約53名でした。