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シンポジウム(2017年11月23日)

辺縁と創造のネットワーク 地域芸術祭を超えて

地域に生きている民俗や芸能、ユニークな祭。人口減少や高齢化がもたらすいくつもの課題。世界各地を移動・遊動するアーティストたちは、こうした地域の特性に出会い、思いもかけない発想で社会に転換をもたらす可能性を持っています。マイノリティーを受け入れ、異質なもの同士の出会いから新たな価値を生み出していく創造的な場所の条件とは? 地域と世界を結ぶ実践の場で活動するゲストを迎え、地域芸術祭ブームの後に来る創造の可能性について考えます。

平成29年11月23日(木)14時00分~17時00分
エリアなかいち にぎわい交流館AU 2階展示ホール
芹沢 高志 / 原 万希子 / 高堂 裕 / 藤 浩志

芹沢 高志 / アートディレクター
P3 art and environment 代表

1951年東京生まれ。神戸大学理学部、横浜国立大学工学部を卒業後、(株)リジオナル・プランニング・チームで生態学的土地利用計画の研究に従事。その後、東長寺(東京・四谷)の新伽藍建設計画に参加したことをきっかけに、89年にP3 art and environmentを開設し、様々なアートや環境関係のプロジェクトを展開。最近では、別府現代芸術フェスティバル2015「混浴温泉世界」総合ディレクター、「さいたまトリエンナーレ2016」ディレクター等を務めたほか、「この惑星を遊動する」(岩波書店)など、著書も多数を数える。

原 万希子 / コンテンポラリーアートキュレーター

1967年東京生まれ、バンクーバー在住。コンコルディア大学美術学部美術史修了。2007年に国際現代アジアアートセンター、Centre Aのチーフキュレーター就任を機にカナダに移住、13年に独立。90年代よりカナダとアジアを繋ぐアートプロジェクトを数多く手がける。最近の主なアートプロジェクトは、Scotia Bank Nuit Blanche (トロント、09)、鳥取藝住祭、 AIR 475プロジェクト(米子市、14-16)、『仮想のコミュニティー・アジア』黄金町バザール2014(横浜、14)など。17年春から秋田公立美術大学国際交流センター、アドバイザーに就任。

高堂 裕 / 「踊る。秋田2017」実行委員会委員長

1948年秋田市生まれ。明治学院大学仏文科満期退学。秋田市大町で地ビール醸造販売を行う(株)あくら代表取締役。秋田市大町商店街振興組合理事長。文政12年に始まった「感恩講」評議員。万延元年創業清酒「程よし」の醸造を家業としていた高堂家6代目として、清酒「高清水」の経営にも参加。趣味として能楽と多方面の読書を楽しみ、その蔵書数は膨大なものとなっている。




シンポジウムコーディネーター
石倉 敏明 TOSHIAKI ISHIKURA
人類学者 1974年東京都生まれ。芸術人類学・神話学。秋田公立美術大学准教授(アーツ&ルーツ専攻)。明治大学野生の科学研究所研究員。共著・編著に『野生めぐり』(写真/田附勝)『人と動物の人類学』『道具の足跡』『折型デザイン研究所の新・包括図説』『タイ・レイ・タイ・リオ紬記(高木正勝CD付属神話集)』等。


シンポジウムは秋田市の取り組み主旨の説明からスタート。

齋藤:「あきたを学ぶ」とは、まちの記憶を学ぶこと。「あきたで創る」とは、まちの記憶・価値を見据えたうえで、まちの将来・未来を創ることです。
平成27年度から秋田市でも芸術祭のようなものができないかと考えています。今年度は、「夜楽」「部活」「シンポジウム」を開催し、そのキーワードをまとめこの取組の方向性を見出したいと考えています。

コーディネーター 石倉敏明氏(秋田公立美術大学准教授)

石倉:シンポジウムのタイトル「辺縁と創造のネットワーク」の「辺縁」という言葉には二つの意味があります。
1.日本海に面した秋田市の位置を表すエッジ
2.人口減少や高齢化の問題、地方の課題などの崖っぷち
辺縁にあるさまざまな都市と新しいネットワーク型のアートが出来る事に期待して、このようなタイトルにしました。



基調講演Ⅰ 芹沢高志氏 P3 art and environment 代表
演題「人はすべて、場所の精霊に尋ねるべし」

芹沢:芸術祭の効果には指標がないですから、集客数とか動員数とか、どれくらいお金を生んだとかが、評価の基準になりやすい。短期的な経済効果を求めるのが目的なら、わざわざ芸術を取り上げなくてもいいでしょう。例えば、AKBやピカチュウでも呼んできた方が、効果があると断言します。芸術に関しては、即、何らかの効果が出てくるものではないと、僕は思っています。
「なんで芸術祭を開くのか」、「なぜ文化芸術を取り上げるのか」ということを、とことん話し合い、納得しあってから進めることが必要です。そうしないと、最後におかしなことになりかねません。文化芸術は、10年、20年経って自分の力になってくれるのもだと思います。
芸術の中にはある種の呪術性・魔術性があるので、アーティストたちの力を借りて閉じ込められている場所の力をもう1回外に出せる機能が、地域で展開するアートにはあるんじゃないでしょうか。


基調講演II 原万希子氏 コンテンポラリーアートキュレーター
演題「アートによって海を越えた世界を想像/創造する」鳥取藝住祭のケース・スタディー

:鳥取は「藝術祭」ではなく「藝住祭」とした。芸術を媒体にして、新しい価値を地域の中に創造していこうとする試みです。
アーティストインレジデンス型の活動を促進していくことが、目的の一つとなっていました。人口減少や高齢化など、他の地域と共通する問題を抱えている鳥取県で、芸術と住むことをテーマにして、新しい世代を超えた親密なつながりを作っていくことを考えてみました。
日系4世のアーティストで、カナダ・バンクーバー在住のシンディ望月さんが、「開拓移民」と「無人島にあったとされる幻の料亭」をテーマにした作品を完成させました。一人のアーティストの視点で、歴史の物語とか私たちの考えていることを超越し、海を越えた世界が創造され、つながる例になったと感じています。
秋田にも独自の先住的な文化が濃厚にあり、そのようなものを芸術が取り出すことに美大が関わっていると思っています。見えないものの言葉の自我を、アーティストが読み込んで何をもたらし、どのようにして地元の人と共有していくのかが大切です。

パネラー 高堂裕氏 「踊る。秋田2017」実行委員会委員長

高堂:芸能もアートも、見る人と作る人が必要です。秋田にもっと見る人を増やしたいと思って活動しています。
歴史というものはややこしいものではなく、本当にその場所、その場所での記憶の積み重ねだと思います。いつの時代も、どんなところででも、一つになることはなかったのではないでしょうか。違って当たり前だと私は考えています。考え方の違った人が同じ国にいるから面白いし、性も男と女だけの二つしかないとは思っていません。  アートは技術でもあり技でもあるので、創る人と楽しむ人の両方いなければだめです。

パネラー 藤浩志氏 美術家・プロジェクトディレクター

:近代は、その土地の精霊だったり、精神だったり、そうしたものを塗り固めてきた、封じ込めてきたと感じていて、塗りこめられたその近代の隙間をこじ開けて、そこから何か流れを作ろうとしています。
その土地が何を経験していくかが重要で、良質の経験を重ねて行かなければなりません。
秋田では作品展示できない、コーディネーターがいない、場所がない、塗りこめられた場所はあるが、こじ開けるコーディネーターがいないので、コーディネーターを育てなければならないし、使っていける場所がもっと経験を重ねなければならないと思っています。

芹沢:生態学的地域計画とアートの関係ですが、生物の視点ってすごい! 生態系があるから文体系もあってもいい。未来のビジョンを考えると、生物は計画して爆進していったわけではありません。生態系って、いろんなプレイヤーが関わって、一人が勝つわけではないのです。
人間の営みも入れた意味での生態系で考えて、生態学的なアプローチは間違っていないんじゃないかと思っています。

:カナダの先住民たちは何かを決めるとき、7世代後のことを考えて決めるという考え方を持っています。
美大とか皆さんのネットワークがここにボンと出来たことで、もしかしたら日本社会とかを飛び越えたネットワークや、地球生態系的な構造として、芸術のありかたを秋田とつなげていく考え方が出来るのではないでしょうか。
アートの一番の醍醐味は、どれだけ無責任で大はったりの企画が出来るかにあり、辻褄を合わせ、お金を出した人たちを説得する技量にあると思っています。

石倉:移住と定住もアートにとって大事なことです。地域にアートを根付かせることと移住することは、外から目線を持ち込んだり、違う文化が交じり合ったりすることになります。秋田県への海外からの移住者は、3,000人未満ですが、見方を変えたら一つの小さな自治体くらい外国人がいることになります。
カナダのようにたくさんのグループを許容する制度や和解、LGBT、民族的なマイノリティというものが、ちゃんと暮らしていけるように日本は見習わなければなりません。
観客数というものに縛られたりすると、どのくらいお金がかり、観客がどのくらいだったかは出ますが、土地の精霊は数えられないですね。

:よく話をするのが、近代芸術という束縛からの開放ということで、地域の中にもそうしたもの、既存構造みたいなものがあると思っていて、その重石や束縛をどう解き放っていくのかが重要だと思っています。
秋田のまちで、小さな拠点というか、活動と言うか、そうしたポイントが広がっていく感じが、一昨年、去年とテーマにしていた「醸」ということで、それがだんだんつながって行くことが必要だと思うんです。
秋田市の文化政策の延長として、お祭り的なことが必要なのかどうか。地域に縛られるのではなく、地域をつなぐ芸術祭もありではないだろうか。

上記の発言以外に、秋田市の課題として、以下があげられました。
・古いものを壊してしまう。
・古い伝統を、ルーツを問わないままイベント化してしまったり、一過性のものにしてしまう。
・秋田は、実際は海の向こうや他の地域とつながってきた開かれた土地型なのに、すぐ「秋田」という概念で閉じがち。

参加者は約80名でした。

第1回夜楽のゲスト、美大の服部先生も質問。

服部:秋田市が芸術祭みたいなものをやろうとしている前提があって、本当にそれでいいのかと問うと、実は失敗談から得るものがあると思います。
芸術祭と言うと、海外のグローバルなアートの世界で活躍している人を呼んできて、いわゆる国際展みたいなものだったり、あるいは、地域の文化や地域の持ってるものを掘り起こした、地域の価値みたいなものにフォーカスしたアートプロジェクトみたいなものに、なんとなく二分化される印象があるんですけど、そうではないあり方、あるいはその先のあり方がないものかと思います。